路人 閉店 完結編

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閉店への思い 第八話

ここまでお読みいただきありがとうございます。
人の世の中は、総理大臣、会社社長、平社員それぞれ誰がかけてもなりたちませんよね・・・
踏み台になる人、梯子になる人、舞台に登る人・・・この世の中はなんと大勢の人に支えられて
いるのでしょう

路人20年を振り返って・・・大恩ある軽井沢のおじさん、静岡県、春野町の役所の皆様・・・・本当に大勢の
皆様、お客様、ご支援者の皆様に支えられてここまでやって来れました。有難うございます
ご支援をいただいた皆様の期待する目的は達成できただろうか・・・完全に未達成です
ご期待に応えられなくてこのままだらだらと続けていくことはできません  もうひとふんばりしてみます

人の一生は 一度きりです・・・・新しい道へ進みます
路人は2KM以内に病院も二軒あります。小学校、春野高校も2KM以内にあります。二俣 山東迄
20分で行けます。これから田舎暮らしを目指す方には立地条件はいいかと思います。
心ある方に惜譲いたします、 良心的価格で土地建物すべてお譲りします


  haruno-kankou@kyp.biglobe.ne.jp


 

路人閉店の理由 第7話

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第7話

春野観光ステーション  路人
店名を付ける時、今は亡き役場のWさんが目的がそこにあるならなに恥じることはない・・・
大げさなほら吹きな名前となりました、国道362号を行きかう人々に道案内・・・お役に立てたら
そんな思いで営業が始まりました。

平成7年オープン以来、20年が経過し目的は達成しているだろうか?色々なご支援をいただいた方々
お客様に喜んでいただいているだろうか? マンネリ化していないだろうか?人間でいえば成人式を
迎えた昨年からずっと疑問を持っていました。20年やったんだからそろそろやめてもいいのではないか・・・・

皆さんからは勿体ない・・・・何故だ・・・・・結構繁盛しているではないか・・・・
しかし自分ではもっともっと努力しなくては当初の目的は達成できません。しかし今は若さがありません 怖いもの知らずで無鉄砲でがむしゃらに突き進んで
いくことが出来なくなりました


人生はみんな平等に一度しかありません
もう年齢的にただだらだらと過ごしていく余裕はありません 今こそ決断の時です

この続きは次回に



 

路人の閉店 第六話

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第六話

昔のきょうこちゃんち をやる前に本当は一服して新事業の構想をしたかったんですが
3人の熱情に打たれて予定外の店をやることになりました。
畳の部屋で和卓でパスタやピザ・・・ステーキ そしてフルーツパフェやクリームソーダとっても奇妙なんですが
田舎にはそんな物が食べれる店はありません。 子供たちにはまたたく間に評判となりました。

服装は私は似合わないのに蝶ネクタイ、女性は上下に分かれた着物 全てが奇妙でした
しかし店は繁盛し、またたくまに3年が経過しました・・・・・。誰もがだれか一人でもやめたら店はなりたたなくなる・・・
そんな重圧を感じていました。しかしながら3人とも20代の独身です。結婚の」問題もあります 固い結束の鉄の鎖の輪を解き放つ時期がきていることを感じ始めました。

何かいい方法はないだろうか・・・・・それはきょうこちゃんちを営業しながら同じ敷地内に路人を建設しました。
春野の産物、加工食品、食べ物は蕎麦に特化これならこの人たちが居なくても営業できる
店は大変な困難、屈辱にもめげないで全員で頑張り通して・・・なんとか人に評価されるまで・・・に成し遂げました

もう別れの時に・・・涙はありません。
今まで数々の困難辛苦に耐えクリアするたびに感動の涙を全員で流し続けたことか・・・・
何か成し遂げた者には男女の区別はありません。自信に満ち満ちた勇者の姿となって結婚にそして
各自の希望をもってスズメだった皆が大鷲となって旅立って行きました

次回は 春野観光ステーション 路人のオープンです


 

路人 閉店への思い  第4話

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春野町での事業は補助事業ですので組合を設立し複合観光施設としました。
レストラン棟は旧北遠五市町村には見当たらない豪華なものとし、特にトイレは床、壁面共に大理石で1

地元の人、曰く・・・・・滑りそうで怖い・・・・メニューは地元の子供たちに街中に行かなくては食べられないパスタやピザ

を食べさせたくて・・・東京で修業中の春野出身のコックを採用、地元のアマチュアバンドによる野外ビヤガーデン・・・・
全ての舞台装置は整い華やかにオープンしましたが・・・・

結論は私は組合の組合長には全く失格でした
和をもって貴しとなす(わをもってとおとしとなす)・・・そんな考えはなくて独裁的経営者で人様の心情など無視して
数字だけを追い求める・・・冷酷な経営者だったかもしれません

開店、たった三か月でその施設から身を引いて去ることにしました。去る日がビヤガーデンのオープンの日でした。
オープンの挨拶と辞任の挨拶がたまたま重なったのです。バンドは淋しい曲ばかりを演奏しするので賑やかに
やってくれ・・・そんな掛け声をだし続けました。

そして・・・去って行く・・その時にコックさんと女性従業員二人が私のようなものについて来てしまったのです。
三人とも前途ある20代の独身者です。

さてどうする・・・・この続編は次回に・・・


 

路人 閉店への思い 3

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長野県での回顧録 3
土地は入手できましたが、特別景観地区ですので浄化槽だけでも2000万円ほど掛かりますそして
夜中に出てはあくる日に打ち合わせをして夜帰る、そんなことを一ヶ月に何十回も重ねて疲労困憊していました
そんな朝、近くのホテルのオーナーが趣味で馬を二頭飼っていましたので馬を見ているとその方が話しかけてきて
ここは浅間山も見えてウドや山菜の宝庫でいいところですよ・・・私の疲れ果てた姿とは段違いの・・・・ゆとりです

30歳そこそこの私のような若造がこんな余裕のある人達と競争していけるだろうか?
しかし遣りかかった船でやめるわけには行きませんが、とにかくやり遂げたい・・・
しかしランニングコストや考えると不安になります。複雑な思いで春野に帰ってきました

そんな折、春野町の役場の大勢の方からそんなに情熱があるなら・・・春野町でやってくれないかねえ・・・
補助金の制度もあるし・・・

人間は苦境に立っているときは、攻めて来るものには非常に強く立ち向かっていけるのですが
暖かい言葉にはとっても弱いんですねえ 本当に驚きました

すぐさま土地を売る算段をしたところ二日ほどで売れてしまいました。
あんなに苦労して手に入れた土地なのに・・・・・いとも簡単に売却してしまいました
もっと時間をかければ高く売れるのに・・・・そんな声を尻目に・・・やっぱり私は田舎の人間なんですねえ 農耕民族の出で
やっぱり商売人にはなりきれないんです

次はいよいよ春野町で商売を始めます  次回第四回  お暇ならお読みください


 

路人 閉店への思い

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思い 2

昨日に続き第二話ですお暇な方はお読みください
軽井沢での思いが何としても観光業をしたい・・・しかし春野町では借入金を返済していくほどの
立地条件の所はありません。しかしなんとしてもやりたい・・・

そこで東京圏のお客さんが呼べてなおかつ冬場も誘客出来るところ・・・・・それは長野県のスキー場しか
ないだろう 夏は避暑地としてしかも景観のいいところ・・・そんな欲張りな土地選びが始まりました

バブル期に入りかかりペンションブームの時でありましたが私の希望する物件を探すのは至難の業でした
軽井沢のおじさんにアドバイスをもらおうとしたら土地選びからそんなんじゃあ先が見えてる・・俺は何にも言わんぞって

あらゆるつてを頼ったり学生時代の友人達に手伝ってもらったり長野県の東西南北は全て行きました
夜中に出発して翌日一日中走り回ったり東京のデベロッパーに行ったりそれこそ寝食を犠牲にして飛び回りました
いい物件があると聞いて行ってみるとあんなにスキーシーズンには賑わってたところが玄関にはベニヤが張られ
ネズミが走り回っていたり・・・・

結果は見つかりました。 しかしながらいいところは保留地として地元の人とか縁故者しか買えないところが多いのです
私は若気の至りで地元の役所、不動産やに何度も何度も何日も何日も必ず地域の為にお役に立ちますからと懇願しました
向こうが根負けしたのかつい手に入れることが出来ました。
何の身内関係も親戚でもない軽井沢のおじさんは騙されてはいけないと思い契約の時には東京の不動産やにもついて行ってくれました

結果が得られたのは静岡銀行 天竜支店の人達や軽井沢のおじさんたち皆が応援してくれたからです。人との付き合いは本当に大切なもの
ですね、故人となられた人もいらっしゃいますが天国であの若造がって・・・笑って下さればいいのですが・・・続きは次回に 乞う


 

路人閉店します

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春野観光ステーション 路人は平成7年7月7日にオープンしましたが、
4月いっぱいで閉店させていただきます。
皆様には長い間のご愛顧、ご鞭撻のほど本当にありがとうございました

閉店への思いを連載としてブログに載せさせて頂きますので
お暇な時間があればご愛読いただければ幸いです

私が観光、飲食に興味を持ちましたのは大恩ある軽井沢の大先輩の友人がきっかけです。
子供が幼稚園に入るか入らないかの頃毎年 泊めていただいて
いろいろなご教示をいただきました。

当時「軽井沢レイクニュータウン」という三越不動産の別荘分譲地があり
別荘地の玄関口に作られた人造湖であるレマン湖のほとりに
リゾートタウンがありました。
ブテイックが立ち並び三越の軽井沢店もありました。

その方は一代で衣料品屋から身を興し レイクニュータウンの一角で
蕎麦屋さんを営んだりと多角経営をされていました


朝 散歩すると皆さんが明るくお掃除をされていて 
 おはようございます 
ととても楽しい雰囲気で避暑地を楽しまれておりました。

近くには不動産の事務所もあり休日には何億円という単位で
現金が入るようでした。

私がその話題をすると

『なあ お前 羨ましいと思うかもしれないけど・・・そんなことに興味を持っちゃいけないよ。
我々中小の業者は百円玉なんだよ。大きな所が出来ないことをやって
それこそ百円玉を稼いで生きていかなくっちゃならないんだよ』

その言葉に衝撃が走りあれから何十年経った今でも
忘れることのない言葉です。
その時からいろいろ紆余曲折があり 路人  になりました
続編は次回に披露させていただきます